出典: 2021-03-28
https://narasige.hatenablog.com/entry/2021/03/28/123244

原節子16才。日独合作映画「新しき土」の撮影風景

ホームライフ 昭和11年(1936)8月号より、日本とドイツの合作映画「新しき土」の撮影風景です。原節子は1920年生まれなので、この時16歳くらい。パッと見たかんじ、16歳には見えませんよね?(映画の中では10代らしく、とっても華奢です。)



「新しき土」の監督はドイツのアーノルド・ファンク

監督はドイツのアーノルド・ファンク。「山岳映画王として世界の映画界に特異の位置を占めている」と紹介されています。

山岳映画王として世界の映画界に特異の位置を占めているドイツのアーノルド・ファンク博士は、撮影技師、女優などを引具して来朝、日本を題材とし、日本の風光と日本人の生活を広く世界に紹介するための映画「新しき土」を撮影するため、約5ヶ月にわたって北海道から九州、さては信州方面、瀬戸内海あたりの写真をカメラに収めていたが、いよいよ7月4日から京都のJOスタヂオのセットに入り、劇の部分の撮影を開始した。


「撮影中のファンク博士とアングスト技師」


「茶席の場面撮影 お手前の指導を受ける早川雪洲と原節子」


「茶室の大セットで夜間撮影」


「協力監督者伊丹万作氏」 現場、大変そうだなぁ。


ちなみに アーノルド・ファンク監督の山岳映画に出ていた女優が、レニ・リーフェンシュタール。ドキュメンタリー映画「レニ」では、"ファンク監督は、雪崩でも撮影を強行した!ヒドい目にあった!"と怒っています。



凝り屋のファンク監督に、日本人スタッフが「カアッ」となる

「なんだか・おかしな・人たち (文春文庫)」に「新しき土」の撮影エピソードが出ていました。 たったワンカットを30回も40回もテストをする監督に、日本人は爆発寸前だったようです。

「カツドウ屋奇人伝」山本嘉次郎

以前ドイツからも監督やカメラマンなぞが来て、映画を撮ったことがある。それが原節子>一躍有名にした「新しき土」である。(略)

監督が凝り屋のファンク。カメラマンも凝り屋のアングストだから、そのゴリガン(無理を通す)ぶりは相当なもので、日本人ども、カアスケ(カアッと、のぼせる)だった。

業界用語わかりにくいけれど、日本人スタッフがキレているのが伝わってきますね!



 原節子、ドイツに行く

原節子は、1937年(昭和12)に「新しき土」のプロモーションツアーでドイツやアメリカをまわりました。これは flickrでたまたま見つけた写真。『New Soil(新しき土)』の原節子が、ドイツ行きの支度をしているという 記事です。



洋装ではなく、和装中心の旅支度?



これも flickrでたまたま見つけたドイツのカード。タバコのおまけらしい。お茶漬けに入ってる浮世絵カードみたいなものかしら?極東の新人女優がドイツのカードになっているのは、やはり「新しき土」効果なのでしょうか。この縁取り模様、なんだかゾワっとする…



「新しき土」の共演者、小杉勇のカードもありました。「勇」の綴りって、ドイツだとこうなるのか。




▽1937年1月、ベルリン。
原節子とゲッベルス宣伝相は、ほとんど背丈変わりません
写真は、生誕100年・原節子を巡る神話と真実より